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日置一族の系譜

探索のきっかけ

日置族長のつぶやき

我らは日本を測量するためにやってきた日置一族技術集団である。羊氏も同行した。

羊氏は多胡碑のように全国に測量記念碑を建立する役割があった。

多賀城碑や日本中央碑もそうである。

その功績により馬が群れる里(現群馬県)に領地を賜った。もっとも田子の浦と多胡碑と羊蹄山と稚内を結んだのはわれら日置の測量技師と蝦夷族であるが。

100年も懸ければこの国中に大好きな直線を大量に引くことができるだろう。

三角点はなるべく尖った山の頂上とする。基準点は縄文時代の環状列石を借用する。図根点や見通し点も重要だ。それらは国見山や国見岳ということにする。

祭祀に利用することはあることはあるが、あくまでもそれは祭りだ、遊びだ、政治遊びだ。我らは文字を使わないで口伝で全ての仕事を遂行する。測量は国家機密だから証拠を残すことはしない。時はゆったりと流れる。明日はまた来るいつの日にか。いま生きているものが最大の至高の実体ではない。歴史は全てを歴史化するから、その時代のその時々の事象がその瞬間において最も輝いているということだ。

Wi-Fiで通信することも目と目でテレポートすることも、活動様式は異なるが根っこは一緒だ。大量に素早く知識を伝達できるかどうかという利便性の差だけだ。

そうして後世の古代測量技術探究者は比定的、疑定的に想定した。

連綿と陸続とそこに在る存在こそ意味を持つということを山伏やマタギを通して認知した。

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