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九州太陽ラインの検証2

探索のきっかけの一つ

九州太陽ラインの検証 「L≒180kmのレイライン」

その2

ついに発見したそのラインとは!の前座として

まずは、北緯34度32分に引かれた線だが、測量士は測線と呼ぶことを脳裏に置いて頂きたい。この測線は奈良盆地を平行に横切るだけではなく、その東西線を延ばしてゆけば、対馬と富士火山帯の島である利嶋を起終点にすることがためらいもなく視準することができる。また奈良の国見山を三角点にして、その東西測線と直交する南北測線は北の平安京にポイントを落とせる。

図―3

図―4

つまり何かの建造物や生活空間を定めようとするときに、何を頼りに或いは根拠に其処にその物を定礎するか、と云うことなのだ。小生の経験から云う。大割測量とか小割測量という技術が圃場整備測量の世界にはある。世界なのであってこの世界という用語はコップの中の世界ではあるが、太古の昔から受け継いだ測量技術なのですちゃ。

 

100haの圃場整備をするときに、幹線道路、排水路の位置をまず決定する。その測線は始終点にポイントとなる太い杭を打つ。これを基線として以降の作業に入る。なんの目印もないところに基線を引けと云われれば、コインを後ろに投げて偶然値に決めはしないだろう。山の頂上などの不動点を見つけ関連付けて再現可能にする。

古代測量士もそういう手法を駆使していたと思料するのだが如何だろうか。

 

では何故に測量の成果品例えば測量野帳がないのか、あっても溶解したのか。

一般的に有史以来とは、約6000年前、文字が生まれてからの人類史を云う。つまり、文字で残されている歴史だけを、人類の歴史と定義しているということだ。

 

そうすると、文字が生まれる前の時代には、人類の歴史は存在していなかったということになるがそうではなく、いわゆる先史時代と呼ぶ時代にも人類は累々と生を生活していたのです。

 

では、先史時代の人類は、どのように歴史を残してきたのか。それは、口伝伝承の技だ。すなわち「音」であり「波動」を記録媒体として人々の精神に着信させる。記録として残された文字は「物質化」し、人類の「精神」から離れてゆく。

 

言霊というのがある。

「『真理』と一言文字に残せば、もはやそれは『真理』ではない。本来であれば口にしてもいけない」とも言う。「波動」と「精神」の一体性があって始めて我々は安心立命の境地を手にすることができる。昨今の精神力の欠如した文体(新聞雑誌を含み)や闇雲にただ呂律の回るだけ回して空疎な言葉(国会遊戯やワイドショーも含む)の充満していること甚だしく、不健康極まれりだ。(Continue)

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