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​古代の測量方法

探索のきっかけ

まずは、見通すことが出来るかどうかだ

例えば、城輪柵から襟裳岬を見通してみよう

一方の山頂に立ち、三角測量の手法や錫杖頭をアリダードにしてスタジア測量を行う山伏測量士は、他方の山頂に待機するポールを持ったり、丸鏡を反射させたり、夜は篝火を焚く山マタギの助手を目当てに、測点や測線を形成する。

縄文期の環状列石もまた図根点として活用する。

​尤も、この列石群は昔々の建造物定礎のベンチマークだった。

行基図 奈良時代で我が国最古の日本地図といわれているが、その真偽は未確定だ

古代の方位測定方法について

古代の方位測定法

 

2013年6月

太陽による真東西の測定

奈良盆地の古道と都城

(埋蔵文化財センター 遺跡・調査技術研究室長 小澤 毅)

 

 平城京をはじめとする都城や寺院、道路など、古代の土木建造物には、真北や真東西に方位を合わせたものが少なくありません。工事にあたって測量がおこなわれたことは確実です。では、具体的には、どのような方法で方位を測ったのでしょうか。

 

 いまの私たちなら、方位磁針(コンパス)を使うのが簡便です。ただし、よく知られているように、磁針が指す磁北は、地球の自転軸の延長方向である真北とは一致しません。奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6~8世紀ではさらに大きく、西日本では平均して10~15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。

 

 次に思いつくのは、北極星を測ることでしょう。現在の北極星(ポラリス=こぐま座α星)は真北にかなり近い位置にありますので、これを利用するのが真北の測定法としてはもっとも簡便です。実際、古代にも北極星で真北を求めたと主張する人がいます。

 

 ところが、北極星はずっと同じ位置にあったわけではありません。コマが首を振るように、地球の自転軸は約25,800年の周期で動いており(歳差さいさ運動)、現在の北極星が北の指標となったのは大航海時代(15世紀)以降といわれています。それ以前は、紀元前1,100年頃にコカブ(こぐま座β星)、紀元前2,800年頃にはトゥバン(りゅう座α星)が北極星の役割を果たしていました。しかし、古代の日本に、北極星にあたる星は存在しなかったのです。

 

 ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。地面に棒を垂直に立て、それを中心に円を描きます(全周させなくてもかまいません)。午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上にくるときがありますが、その2点を結べば、ほぼ正確に真東西となります。この方法は、古くから『周礼しゅらい』をはじめとする中国の書物に記され、簡単なうえに精度もよいことが実験でも確かめられています。日本へは、そうした書物や朝鮮半島からの渡来人をつうじて伝えられたのでしょう。

 

 ですから、方位の測定では、まず東西線を決め、そこから直角に振り出すことで南北線を定めたと考えられます。そのさいに、各辺の長さが3:4:5の直角三角形(勾股弦こうこげんの法として広く知られていました)を利用したことは確実です。7世紀の奈良盆地には、横大路よこおおじという東西道路と、上ツ道かみつみち・中ツ道なかつみち・下ツ道しもつみちという等間隔の南北道路が存在していました。最初に横大路が設定され、3本の南北道路はそれと直交するようにつくられたものと思われます。

 

 平城京は、このうちの下ツ道を基準に設計されていますから、造営時にあらためて方位を測定したわけではありませんが、その精度は古代の測量技術がかなりの水準に達していたことを物語っています。

 

 

 

 

 

岩手山の別称「がんじゅさん」です。

雪形は地元新聞のニュースにもなるメジャーな由来のようですが、他にも民話からの由来もあるようです。

「岩手の三山伝説とノギの王子」(平野 直1902~1990、民話採集・研究家・郷土史家)によると、

荒鷲が赤子をさらっていく場面に出くわした王子は荒鷲の後を追いましたが、よく見ると、荒鷲は逃げるというよりも王子を導いているようです。やがて岩手山山頂にたどり着いた鷲は神の姿となり、王子の耳には「この山を開き、そなたはその主護神となれ」という天の声が聞こえてきました。里へ戻った王子は人々と話し合い、山頂への道を開き山麓は大いに栄えたことから。

とありました。

 

標高1123.8m。山麓の渋民村(現・盛岡市渋民)出身の歌人石川啄木がこよなく愛したことで知られる。

 

伝承   編集

姫神山

征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の折、立烏帽子神女を祀ったのが始まりとされる。立烏帽子神女は、京の都を荒らした鬼を退治した際、田村麻呂の守護となった姫神とされる。

 

 

 

奈良・大和盆地に「太陽の道」 一直線上に遺跡・社寺

異説の日本史(1)

(1/2ページ)2011/8/10付

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 万葉集の冒頭に登場する枕ことば「そらみつ」は「大和(の国)」にかかる。日本書紀に記された謎の言葉「空見つ日本(やまと)の国」が語源で、「大空から眺めて良い国だと選ばれた」の意だ。「天の岩船」というUFOを思わせる飛行物体に乗ったニギハヤヒノミコトが「国の中心地」に着陸し、後に神武天皇が「畝傍山の東南の橿原の地」を「ここは国の真中だ」と考えて今の奈良県橿原市に都を置いたという伝承に由来する。くしくも、大和盆地を「空から」の視点で研究した説は少なくない。多くの学者が認める定説ではないが、歴史ファンを魅了してきた「太陽の道」「聖なるライン」など、「空見つ日本」の異説を紹介しよう。

 

 「あれは稲作と密接につながる太陽信仰、つまり日本人の信仰の原点にかかわる話だった。だから多くの人の心に響いたのでしょう」と振り返るのは、「大和の原像」(大和書房、1973年)で「太陽の道」を提唱した小川光三さん。著名な仏像写真家でもある。「太陽の道」は80年にテレビのNHK特集「知られざる古代~謎の北緯34度32分をゆく」で紹介され、多くのファンを生んだ。

 

 

 卑弥呼の墓説もある箸墓古墳、檜原(ひばら)神社、大坂山(穴虫峠)、長谷寺、室生寺をはじめ、大和盆地を中心とする著名な遺跡、社寺などが北緯34度32分の線上にほぼ一直線に並び、東は三重県の伊勢斎宮跡、西は堺市の大鳥大社(さらに淡路島の遺跡や古社)まで延びるという。

 

 この「一直線」は「ほぼ一直線」であり、南北にずれる遺跡もあるのだが、記紀神話などとの奇妙な暗合が「太陽の道」説に説得力を与えた。

 

■「元伊勢」と呼ばれる檜原神社

 

 まず檜原神社と伊勢斎宮跡の関係。この2つはほとんどずれなく同じ緯度にあり、天照大神(日の神=太陽神といわれる)でつながっている。

 

 長らく宮中にまつられていた天照大神は、第10代崇神天皇の時代に初めて宮中を離れ、皇女トヨスキイリヒメノミコト(初代の斎王)に託され大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に移される。笠縫邑の有力な伝承地が檜原神社だ。次の第11代垂仁天皇は皇女ヤマトヒメノミコトに天照大神を託す。ヤマトヒメは大神が鎮まる場所を求め長い旅に出て、大和の笠縫邑から伊勢にたどりつく。それで檜原神社は「元伊勢」と呼ばれる。

 

 

■箸墓古墳から大坂山までのバケツリレー

 

 次に箸墓古墳と大坂山(穴虫峠)の関係を見ていこう。

 

 檜原神社の近く、ほぼ真西にある前方後円墳、箸墓古墳は「倭の女王・卑弥呼」の墓ではないかとされ、周辺の纒向遺跡を「邪馬台国」とする説もある。日本書紀によれば、箸墓古墳は「昼は人が造り、夜は神が造った。大坂山の石を運んで造った。山から墓に至るまで人民が連なって手渡しにして運んだ」(「全現代語訳 日本書紀(上)」講談社学術文庫より)。大和盆地の西端の大坂山から、東端の箸墓古墳まで、バケツリレーのように人が連なったという。まるで「太陽の道」のラインを暗示しているかのようだ。

 

 檜原神社のしめ縄の下から大和盆地を眺めると、西に二上山の美しい山容が見える。二上山の北側、穴虫峠が檜原神社の真西にあたる。この峠道は逢坂(大坂)道とも呼ばれた。小川さんは「大和の原像」にこう書いている。「(檜原神社の)社頭から穴虫峠への落日の見える日は、正確に春分又は秋分の日に当たることになる」

 

(日本経済新聞より抜粋)

アリダードを使用した距離測定法  (スタジア測量)

【スタジア測量】《stadia》視距儀の接眼部にある2本の線が挟む標尺の目盛り数(長さ)と高度角を読み取り、標尺までの水平距離と比高を計算する測量法。

例えば問題 測量士補試験から<H17-4-A:問題>

 

アリダードによるスタジア法において、2点A、B間の距離を測定するためにA点に平板を整置し、B点に鉛直に立てた上下間隔2mの目標板を視準して、上方目標板の読定値十3.2、下方目標板の読定値-1.5の値を得た。2点A、B間の水平距離はいくらか。

  問題文を図に描くと次のようになる。

リダードの前視準板の目盛(分画)は、アリダード全長の1/100である。また、水平線を境にできる上下三角形が相似形であることを考えると、次の式により、水平距離Sを求めることができる。

 

100 : {+3.2 - (-1.5)}= S : 2m

∴   4.7S = 200m     よって、S = 42.553m

この測量方法のように、三角形の相似形を利用した比例配分法で測距を行い、或いは測角を示準しながら地形図を作製する。

​アリダードのような役目をする機器は、例えば錫杖頭や杖、直刀の刃、等々考えられるものを駆使したに違いない。

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