

つまり確信的妄想という作業
国土の測量は国家の基本事項の一つとの観点から Google-Earth,mapを利用して我が国の山岳の頂点を 三角点に、環状列石などの縄文期に建造されたと 見なしている遺跡を基準点や図根点として、古代に建設 定礎された神社仏閣、城柵の位置を決定したと想定した。...


山頂と環状列石から建造物の位置を決定する
秋も深まり、岩手山麓の神社巡りをした。田村麻呂に関連する祠の多いことと言ったらここ滝沢市に勝るものはないかのようだ。 岩鷲山神社、田村神社、角掛神社2社、鹿島神社、春日神社などなど。 なにせ田村麻呂に言わせれば、最後の抵抗勢力の悪党鬼どもを征伐せにゃならないからだ。まつろわ...


由来書き
伊治城柵跡 伊治はコレハルと発し、変化してクリハラとなり今の栗原市である。 これなら読めるが 近くの鹿島神社、これは読めない!


寄る辺を見る
寄る辺を見る 古代、何もない原野に寄る辺となる物を構築するとき、人は石ころを後ろに投げて、偶然の位置を期待し決定するだろうか?技術者であればそうはしないだろう。太陽の通り道である春分秋分点や目印となる山岳を三角点に見立てて、点の記を作成するだろう。そうでなければ意思決定の欠...


城輪柵跡
秋田杉の柱で復元 相馬大作?どこかで聞いたような 杉の山 月山と羽黒山が遠望できる方向は、生憎の曇り、鳥海山も然り。山々の頂上がすべて三角点に見えてしまう。 測量師の性なり


陰の測量師 日置一族 理工学部測天量地科
日置一族は古代、テクノクラートとして国中に配置された。その技術の一つに測量があった。当時、地図を作製したり城柵や神社の位置を決定する技術は国家機密であり、秘儀中の秘儀であった。従って木簡にも紙にも記憶されない、子々孫々の口伝として伝へられた。人工知能が紙を媒体しない頭脳であ...

山立ての方法
一つの測量方法だ。二点を通る直線は一本しかない。事実?真実?真理? 自らの位置を決定する手法の一つ。海上で漁師が使う方法。 この手法を、古代の測量士が建造物を特定の位置に設置する基準に用いたならば、 なぜその位置にそのようなものを建造するのかという、大儀名分ができる。


鳥海山と羊蹄山、襟裳岬を見とおしてみた
鳥海と羊蹄の距離は418km、鳥海と襟裳も418kmでほぼきれいな二等辺三角形ができる。古代人は二等辺三角形の調和が大好き、90°、60°、30°も大好きだったようだ。正三角形も大好きでした。180°の反転も得意だった。間縄と竹竿があれば、どんどん直線を延ばせた。歩くのも良...


修験道 役小角伝説 測量士(師)
役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。姓は君。 修験道の開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。天河大弁...


意図的な仕業か測量師よ
志波城の東西外構線は6度程度傾いている。意図的な仕業か古代の測量師よ。 志波城の東西外構線は6度程度傾いている。それで方八丁800m四方は正方形だ。 北に岩手山、東に北上川、南に開けた土地あり、西には秋田城や払田柵に通じる街道、まさに... 四神相応の地だ。だが傾いている?


侵略征服にはまず測量せよ
図書館から借りていたこの本だが、中古本を買ってしまった。謎の測量士いやこの際、著者が言う測量師が相応しい。 当時の大陸から帰化したテクノクラート理系集団の一つに日本国土狭しと測量しまくっていた一族がいた。 名目上は田畑の大きさにより税収調査する、つまり税務署の役人であった...


日戸(ひのと)方向からの巌鷲山
この岩手山は磐梯山同様にかつて頂上が吹き飛んだように見える。 あと300mは高かったかも知れない。 このバックサイトが姫神山だ。日戸地区は左手になる。日戸は縄文時代からの生活の跡がある。小高い丘で風の爽やかな処だ。常光寺がある。測量専科には関係ないが、...


正確な方位を破った田村麻呂の測量技術者集団のきっかけ
なぜ東西線上に古代の遺跡が並んでいるのだろう。太陽の道と名付けるそうだが、陸上では星を見るより太陽を見て建造物の位置を設定するのが自然の成り行き。 時の為政者による権威づけが見て取れる。 その測量術の正確さに迫る名著「知られざる古代、北緯34度32分をゆく」


払田柵と秋田おばこ
払田柵跡にて 秋田おばこかと われ思いきや じゃじゃじゃ 昔おばこの 草むしりじゃい! 払田良いとこ 一度はおいで ほんにほにほに 謎だらけの 建て直し柵 外柵南門と外郭南門


長い棒と間縄の時代へ
湯沢団地から兜明神岳を撮ろうと走ったが、途中雷雨で断念。 いつもの南昌山を拝んで今日はおしまい。志波城柵などを建置した古代の測量技術がどのようなものであったか、多分あちらこちらと三角測量をしまくったのだろうと想定し検証しているが、屁理屈と夢想の産物がまたぞろ、ぞろぞろと。