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中尊寺関連の古代寺院跡の定礎を推定する
探索のきっかけの一つ
水沢の郷土史研究家の後藤和夫氏によれば、「泥田廃寺跡」は安倍氏の時代に造営された「長者ケ原廃寺」(奥州市衣川)と「大竹廃寺」(北上市)等と同年代の造営ではなく、少し年代が古いようです。【泥田廃寺、大竹廃寺の座標値は後藤氏にお教え頂きプロットしました。】
※長者ヶ原廃寺は、志波城と関山を結ぶライン上に定礎。
※大竹廃寺は、達谷窟と樺山遺跡、国見山廃寺を結んだラインの延長上にあり。
※泥田廃寺は、種山高原と観音山を結ぶラインの延長上と根羽子沢遺跡と達谷窟を結ぶラインの延長上との交点に位置することが推量される。
いずれも坂上田村麻呂に関連する寺社や縄文期の遺跡を基準点として安倍氏、藤原氏時代もその測量手法は継承されていったと思われる。
寄る辺なき所に我らは建造物を構築しないのであろう。
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