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九州太陽ラインの検証1

探索のきっかけの一つ

九州太陽ラインの検証 「L≒180kmのレイライン」

その1

「太陽の道」とは、小川光三『大和の原像』(1973年)の中で示唆された日本のレイラインの一つである。奈良の箸墓古墳を起点に、それを中心として東西それぞれ数十キロの直線上、北緯34度32分に多くの寺社が位置している。

 

この説が、水谷慶一によってNHK特集としてまとめられ、昭和55年(1980年)2月11日に『謎の北緯34度32分をゆく-知られざる古代』として放映された。

同名の著書(名著)は昨年入手して読んだ。

写真―1

様々な特徴があるが、まずは元伊勢との関係。皇大神宮(内宮)など伊勢の神宮(伊勢神宮)そのものは含まれず、伊勢斎宮跡が選ばれている。

元伊勢とも関連して、天照大神の伝承を多く残すのも特徴で、太陽信仰との関わりが示唆される。

その中には、「日置」の地名も挙げられる。このライン上には、比企・辟田・引野・戸木など、関連するものも含め、多くが含まれている。日置部や日祀部などの一族との関係も垣間見える。

図―1:

水谷慶一氏の示唆は九州のトンカラリンにも言及し、同書の中で菊池川流域古代史研究会の古閑氏は八方ヶ岳と金峰山を結ぶ35kmの直線を1辺とする大正三角形が地表に描けるという。水谷氏の考察はここで留めているが、その三角形をGoogle地図でプロットしたのが図―2である。

 

図―2

確かにこの辺りは日置という地名とも相まって、古墳のオンパレードで寺社も多い。ただなぜ正三角形なのか、その意味するところの言及はない。

多分たぶんであるが、

春分ラインを遊んだのであろう。何もかにも太陽とか信仰心に求めることはない、彼らはもっと実利的で云わば理工学的な頭脳を訓練していたと想像する。政(政治或いは祭りごと)だけが生きる全てではない。そのように解釈しなければ全国に引き続けた直線の意味が分からなくなるだろう。

小生は、彼らが全国に引き続けたラインを絶大なる構想、洞察、妄想でその痕跡を辿っている最中である。

 

これらのことから、日置一族の系譜は測量士集団の系譜でもあり、山伏やマタギはその後裔であるとの仮定のもとに日置という地名の近くにレイラインの痕跡を探してみた。手段はGoogle‐Earthとgoogleマップを駆使し、大和地方以外の太陽の道を九州の地に探してみるという暴挙である。発見とは又、温故知新という美名に隠れた脳内冒険でもある。

(続く)

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