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寄る辺を見る

  • 標葉石介
  • 2017年3月4日
  • 読了時間: 2分

寄る辺を見る

 古代、何もない原野に寄る辺となる物を構築するとき、人は石ころを後ろに投げて、偶然の位置を期待し決定するだろうか?技術者であればそうはしないだろう。太陽の通り道である春分秋分点や目印となる山岳を三角点に見立てて、点の記を作成するだろう。そうでなければ意思決定の欠片にもならないからだ。全ての技術は歴史化するが、その歴史は測点決定の意志を語るものでもあろう。

 私はその意思決定の過程を追跡している。なぜか?暇だからだ。そうではなく、測量による地図作製は国家形成のための重要な施策だからだ。

縄文時代に三内丸山という一大集落を形成なしえた技術もまた測量の成果であろう。

環状列石なるものは、技術屋の眼でみれば立派な2等三角点だ。図根点の周囲に人々が住み始めたに過ぎない。

レイラインかゲシュタルトの法則か?

ある点と点を結び関連付けて心理的にグループ化する。 これはゲシュタルトの法則という。 人間は近いものや似ているものをグループ化したり、閉じた図形を見出そうとする性向がある、という法則。

レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説だ。 レイラインの存在を認める動きは学術的には主流とは言えない。その理由としては、レイラインが実在するならば、古代の人々がどうしてそのような直線性を持たせたのかが不明であり、さらには存在するかに見えるその直線性はまったくの偶然にでも発生するのではないかという疑いをぬぐえないためである。

つまり不明であるから偶然であるというのならば、確かな意思を以ってそうしたのであれば、必然的なレイラインが引けるのであり、明確な作業性がそこに「ある」と見ることができ、ゲシュタルトの法則も消滅する。

 
 
 
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