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鳥海山と羊蹄山、襟裳岬を見とおしてみた

  • 標葉石介
  • 2017年3月4日
  • 読了時間: 1分

鳥海と羊蹄の距離は418km、鳥海と襟裳も418kmでほぼきれいな二等辺三角形ができる。古代人は二等辺三角形の調和が大好き、90°、60°、30°も大好きだったようだ。正三角形も大好きでした。180°の反転も得意だった。間縄と竹竿があれば、どんどん直線を延ばせた。歩くのも良し。尾根伝いに移動するのが楽だったし、秘伝の測量テクニクスを口伝で持ち歩き、遺伝子をつなげていった。

神武天皇の命を受けて日本武尊が東征し、坂上田村麻呂まで陸続と続いた蝦夷統制は皆殺しの論理ではなく、話し合いと融和の国体造りだったに違いない。

三種の神器は測量器具であったと推論するだろう。

勾玉は垂線を降ろす錘でかつ磁力を与えれば方位磁石に。両刃の剣は鏡と対に太陽反射測距儀に。エジプト直輸入の三角関数も駆使して前方交会法か何かで測点設置。

もう少しで、志波城が東に傾いて外構ができているのか判る。

なぜ平城京のように真北に向いていない?決して測量誤差ではないことが。

後先になったが、この線上に酒田の城輪柵が位置する。

 
 
 
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